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盛岡地方裁判所 昭和50年(ワ)176号 判決 1981年9月22日

原告

安藤清子

安藤房江

安藤文彦

原告ら訴訟代理人

岡宏

岩崎康彌

被告

佐藤淳一

右訴訟代理人

豊口祐一

主文

一  被告は原告ら各自に対し、各金八八三万五八一三円及び内金八〇三万五八一三円に対する昭和五〇年七月二三日より支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一、三項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告各自に対し各金八八三万五八一三円及び内金八〇三万五八一三円に対する昭和五〇年四月二二日より支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は佐藤泌尿器科外科医院の名称で開業医を営む者であるが、原告清子の夫、同文彦(長男)同房江(長女)の父(亡)安藤博(以下単に博という)は、昭和五〇年四月一八日午前一〇時頃便秘のため腹が張るので被告の診察を受けたところ、糞石が腸につまつたことによる腸閉そく(イレウス)であり、入院治療をしなければならないとのことで即日入院した。

2  四月二一日に至り、博は病状が改善されなかつたため五時頃救急車によつて岩手医科大学附属病院第一外科(以下単に附属病院という。)に転院し、七時半より手術をしたが、時すでにおそく翌二二日午後五時一五分直接死因汎発生腹膜炎、原因糞塊によるS字状結腸圧迫壊死及び穿孔で死亡した。<以下、事実省略>

理由

一原、被告の関係及び博の死亡について。

1  被告が佐藤泌尿器科外科医院の名称で開業医を営む者であるが、原告清子の夫、同文彦(長男)同房江(長女)の父博が昭和五〇年四月一八日午前一〇時頃、便秘のため腹が張るので被告の診察を受けたところ、糞石が腸につまつたことによる腸閉そく(イレウス)であり、入院治療をしなければならないとのことで即日入院した事実は当事者間に争いがない。

2  博が病状が改善されなかつたため原告ら主張の日時に附属病院に転院し、翌二二日午後五時一五分頃同病院で死亡した事実についても当事者間に争いがない。

3  次に博の死因について検討する。

<証拠>によれば、博の横行結腸肝屈曲部、下行結腸、S字状結腸に四センチメートル四方角多面体の糞石がぎつしり詰まり、そのため結腸の血流が悪くなつてS字状結腸が壊死状態となつて直径二センチメートル大及び同一センチメートル大の穿孔が二個ずつ発生し、そこから便、あるいはそれに含まれる大腸菌等の細菌類が腹腔内へ流れ出、ために汎発性腹膜炎が起りそれが博の死因となつた事実が認められ<る。>

二被告の過失の有無について。

1  <証拠>及び鑑定人林周一の鑑定結果を総合すれば、本件のような糞便性イレウスの診断は、その部位、程度について触診、打診、聴診、レントゲンの単純撮影及び一般状態の観察を総合して、なるべく迅速かつ確実に行わなければならず、その際触診、打診等によつては部位、程度を正確に把握することは一般に困難であり、一方レントゲンの単純撮影は糞石そのものは写らないが、ガスは写るものであり、そのガスを観察することにより糞石の詰つている部位、程度を、触診、打診、聴診に比べ、相当はつきり診断することができ、従つて、レントゲンの単純撮影は高齢者等のやせている患者で、外から触つただけで明らかに糞塊がごろごろ触れるという場合を除いては非常に有効な必ず実行すべき手段であるということができる事実が認められ<る。>

また前掲各証拠を総合すれば、その治療方法は、高圧浣腸や腸蠕動促進剤を用い、あるいは用指的に糞石を摘出するなど内科的療法をまず行い、それによつて治癒する場合もあるけれども、一般的には外科的手術によらないかぎりその大部分は虚脱、衰弱、腹膜炎等により死亡の転帰をとるものであり、従つて内科的治療により非常に経過がよい場合以外にはたとえ腸の穿孔、嘔吐、激しい腹痛などの手術の絶対的適応の状態がない場合においても手取り早く手術に踏み切ることが妥当であり、また徒らに内科的治療にこだわつていることは患者の生命を失う恐れが多いから、内科的治療を行う場合にも一ないし二時間以内に執刀できるような準備のもとに行わなければならず、ところで内科的治療により非常に経過がよいというのは、大便やガスが肛門から排出され、食事もでき吐き気も無くなり、詰つている糞塊が減少し、詰つている部分が段々肛門側まで寄つて来、このような状態が一日一日と進行しその都度その経過が触診、打診あるいはレントゲンの単純撮影に表われる場合をいう事実が認められ<る。>

2  以上の認定に照らし、被告において博の診断につき過失がなかつたかについて検討するに、すでに認定したとおり、博の糞便性イレウスは手術時においては、S字状結腸から下行結腸を経て横行結腸肝屈曲部に至る間に糞塊が密に充満していたものであるが証人林周一の証言及び同鑑定人の鑑定結果によれば右はかなり重篤なものでその状態は博が被告のもとへ入院した際も同一であつたと推測されるところ、一般にこのような状態の場合には、上行結腸及び小腸はガスその他の内容が充満して膨満し、太くなつて腹腔を満していることが多いため、腹腔内臓器の触診は困難な場合が多く、本件の場合も小腸はガスその他の内容物によつてかなり膨隆し、これが邪魔になつて上腹部の触診は困難であつたろうと考えられる事実が認められ現に<証拠>によれば腹部の下方には腫瘤が確認できるが、上方は鼓腸している事実が認められるものであつて、これら事実を総合すれば被告は糞石が横行結腸肝屈曲部にまで及んでいることを触診によつて確実に把握することは困難であつたと推測され、<反証排斥略>。そしてこのような場合、すでに認定したとおりレントゲンの単純撮影によつて糞石の存在する部位と程度がかなり確実に把握できたにもかかわらず、被告は博の入院時から転院に至るまでの四日間一度もレントゲンの単純撮影を行つていない(この事実は当事者間に争いがない。)ものであり、なるほど入院時においては被告本人の供述のとおりとにかく博の苦痛を取り除くことが先決であつてレントゲン撮影を行う暇がなかつたとしてもその後は可能であつたものであり、なお被告は、その後は内科的治療により経過が良好であつたからレントゲン撮影を行う必要がなかつた旨主張するけれども、確実な診断は正しい治療の基礎というべきものであるうえ、経過が良好であると言えるかどうかは確実な診断によつて得られた病状の軽重に応じ、それにみあつて病状が改善されているかどうかにかかるものであり、そうすると後に述べるとおり本件の場合決して右の意味において経過が良好といえるものではないから右主張は採用できない。

以上によれば、要するに、被告は博の病状を診断によつて適格に把握していたものとは言い難いというべきである。

次に被告において博の治療につき過失がなかつたかについて検討する。

まず被告の行つた治療をみるに、<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

すなわち、被告は昭和五〇年四月一八日、博の来院を受けたが、その際博は便秘と尿閉による怒積のため体をゆすつており、腹部を触れてみると下腹の真ん中から左側の方に凹凸不平の固い腫瘤が認められ、腹が少し張つており、肛門から指を入れると糞石がたくさんあつて触れることができた。血圧は一二〇ないし八〇であり脈搏もそれほど悪い状態ではなかつたが、問診によれば吐いたことはなかつたが排便、排ガスがなく痛みがあつたことがわかり糞便性イレウスと診断し、約一キログラムの糞石を摘出し、五〇〇ccの高圧浣腸を行つたところ、自力で排便がなされガスも大量に出た。腹部を触るとなお糞石がたくさん存在したが、怒積もなくなり顔色も良くなつた。午前一一時近くになつてブドウ糖、ビタミン剤の点滴を一五〇〇cc行つた。午後二時ごろ約一〇〇グラムの糞石を摘出し、再度五〇〇ccの高圧浣腸を行つたところ次の朝六時ごろまでに自然排便が三回あり、夕食は大量ではないがおかゆを食べた。

翌一九日午前八時三〇分ごろ診察を行つたが前日に比べ特に変化は認められず、糞石六個を摘出し、腸蠕動促進剤を投与し、高圧浣腸を五〇〇cc行つたがまだ疼痛が残つており腹はぺしやんこにならなかつた。しかし博からは格別の訴えもなく食事はおかゆをとり便通も五回あつた。なお一五〇〇ccの点滴を行つた。

ついで同二〇日午前八時三〇分、診察を行つたが特別の変化はなく、午前中点滴を一五〇〇cc行い、この日も症状の悪化もなく食事も三回とり便通も二回あつた。

翌二一日八時三〇分、前日同様診察を行い、肛門より指を入れて摘便を行おうとしたが指のとどく範囲に便はなかつた。腸蠕動促進剤を投与し、高圧浣腸、点滴を行つた。ところが午後より腹部が従来にも増して膨満し、午後四時一五分頃、激痛を訴え鎮痛剤を注射し、同五時ごろ附属病院に入院させた。

ところで<証拠>によれば博は二〇日までは顔色が青いなどのことはあつたが特に病状の急変というものがなかつたに比し、原告清子が二一日午後〇時四〇分頃被告医院の事務員よりの電話により同医院にかけつけたところ、相当苦しがつており胃液状のものを嘔吐し、原告清子が肩、背中等をさすつたりしていた事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

ついで<証拠>を総合すれば、博は附属病院に到着後レントゲン室において呼吸及び心停止におちいり、気管に送管して蘇生した後午後七時三〇分ごろ、手術を受けた事実が認められ<る。>その後、前認定のとおりの死因により、翌二二日午後五時一五分頃、死亡した(この事実は当事者間に争いがない。)ことは前述のとおりである。

以上の認定事実によれば、博は二一日の午後〇時頃よりいわゆる手術の絶対的適応の状態が生じたものと認められるが、証人林周一の証言及び同鑑定人の鑑定結果によれば一般的に摘便によつて取り出せるのは直腸における糞塊であり、S字状結腸までは指はとどかず、本件においては被告が実際に摘出した糞塊はその量から推測して肛門から直腸膨大部に詰つていた糞塊にすぎず、高圧浣腸等による自然排便についてもそれ程多い量ではないと推測され、これら内科的治療によつて横行結腸肝屈曲部から下行結腸、S字状結腸に至るまで充満している糞石を肛門側に向つて移動せしめる効果があつたとは認められず、従つて、できるだけ早い時期に外科的治療(手術)を実施すべきであつたと考えられる事実が認められ右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで既に認定したとおり、イレウスの治療においては、内科的治療により非常に経過がよい場合、すなわち大便やガスが肛門から排出され、食事もでき吐き気も無くなり、詰つている糞塊が減少し、詰つている部分が段々肛門側まで寄つて来、このような状態が一日一日と進行し、その都度その経過が触診、打診あるいはレントゲンの単純撮影に表われる場合を除いてはできるだけ早い時期に手術を行わなければならないのであるから、博の被告医院への入院時である一八日から手術の絶対的適応の状態が表われた二一日の午後〇時までの状態につき、右のような経過をたどつていたか否かについて検討するに、既に認定した事実によれば被告は一八日の午前に約一キログラム、午後に約一〇〇グラム、一九日の午後に六個の糞石を指により摘出しており、なるほど、その量自体はかなりのものではあるけれども糞石が横行結腸肝屈曲部にまでぎつしり詰つているという本件の重篤な症状に照らし考えると前述のとおり、むしろ極めて少い量と言えるものであり、また自然排便については、被告は博に対し、その量と形状を確かめる(このことは本件のような糞便性イレウスの治療にあつては重要なことと考えられる。)などしておらず、また既に述べたとおり、詰つた糞塊が減少して肛門の方へ移動していないにもかかわらず、そしてそのような状態をレントゲンの単純撮影によつてかなりの程度知ることができたのに、一度もそれをしていないのであるから、一日一日と病状が改善され、その状態が診断のうえに表われている場合であつたとは言えないものである。

判旨以上の被告の行つた診断及び治療についてこれを要約するに、被告はイレウスの診断において欠くことのできないレントゲンの単純撮影を行わなかつたため、それが可能であつたにもかかわらず博の重篤な病態を的確に把握せず、内科的治療によつて確実に病態の改善がみられたといえる場合でなかつたにもかかわらず、その評価を誤まり、外科的治療(手術)に踏み切らなかつた、あるいはそれの充分可能に設備の完備された病院に転院させなかつた過失があつたために博を死亡させたものであり、また証人林周一の証言によれば、S字状結腸に穿孔が生ずる以前に手術を施せば死亡させずに助けることができたであろうことが認められ、これに反する証拠はないのであるから、被告の過失と博の死亡との間に相当因果関係があつたものというべきである。

ところで、証人林周一の証言及び同鑑定人の鑑定結果によれば、本件のようなイレウスの場合反復する嘔吐、激しい腹痛等の絶対的症状のある場合以外は完備した近代的大病院においてさえ手術の時期を的確に把握することはむずかしくとかく手術の時期は連れがちである事実が認められ、これに反する証拠はないけれども、であるからとして患者の生命を預る医師の注意義務を軽減するものではなく、であるからこそ被告は博の病状を的確に把握して設備の完備した病院にできるだけ早く転院させるべきであつたものである。

なお<証拠>及び鑑定人林周一の鑑定結果を総合すれば、糞塊による腸の壊死、穿孔という例は少なくその予見は困難である事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はないけれども、既に認定した事実によればイレウスにおいて手術の時期を逸すればその死因はともかく大部分は死の転帰をたどることは医師としては充分予見可能であつたと認められるから前述の事実をもつて、被告の過失を左右することはできない。

3  ところで原告らはS字状結腸の穿孔は、被告が腸の壊死に気付かずに高圧浣腸を行つたために発生したものと主張し、<証拠>及び鑑定人林周一の鑑定結果を総合すれば、そのような可能性もないではない事実が認められるけれども、単なる可能性以上に高圧浣腸が原因となつて穿孔が生じたことを認めるに足りる証拠はない。

従つて、その点での被告の過失は認められない。

また、原告らは被告が、博の手術の絶対的適応の状態の発生以降の処置が遅れたとの過失をも選択的に主張するけれども、既に他の過失の認定があれば、右の点について審理する必要をみない。

4  なお被告は前記二一日午後三時一五分ごろ、原告清子に対し中央病院への転院の勧告をしたにもかかわらず原告清子が附属病院への転院を希望し、そのために大きな病院への転院が二時間近くも遅れた旨主張し、原告らは右事実を否認し被告が転院を勧告したのは午後四時三〇分ころであると主張するところ、もし事実が被告の主張のとおりであつたとしても、医者である被告は医学に関しては全くの素人である原告清子に対し博の重篤な病勢を充分に説明し、できるだけ速やかに転院することを強く勧告すべきであつたにもかかわらず、充分に病勢を説明してできるだけ速やかに転院すべきことを強く勧告した事実を認めるに足りる証拠はない。従つて被告主張の右事実がかりに存在したとしてもそのことをもつて過失相殺の対象とすることはできない。

三損害の発生について。

1、2、3<省略>

4  ところで原告らは以上の金額のうち、弁護士費用を除く部分について博の死亡した日である昭和五〇年四月二二日より遅延損害金の支払を求めているけれども、債務不履行による損害賠償債務は期限の定めなきものとして発生するものであるから遅延損害金は訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年七月二三日より生ずるものであり、原告らの右請求は失当である。<以下、省略>

(村上久一)

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